三重県にかつて存在したマニア垂涎の大型廃虚
藤原鉱山と言えばかつては西日本を代表する廃虚であり、軍艦島、化女沼レジャーランドと言った廃虚と比較しても遜色のない規模と迫力があった。
そんな白石工業桑名工場だが、2012年に一部解体作業が進められ、2013年には大部分が撤去されてしまった。
2018年現在、もはやその面影は残っていない。
GoogleMapの衛星写真から確認してみてもわかる通り、工場建屋やサイロ、この廃虚では見ごたえのあった石灰を乾燥させていた施設などはもはや存在していない。
藤原鉱山・白石鉱山とは
この廃虚のことをある人は「白石鉱山」ある人は「藤原鉱山」と呼んでいた。
その理由はこの一帯が「藤原」という地名であったこと。もう一つは白石工業が持っていた鉱山だったから、というものである。
しかし呼び方としてはいずれも間違っており、正確にはこの場所は鉱山であるとともに工場としての機能もあったことから「白石工業桑名工場」という名称が正しい。
かつての白石工業桑名工場はどういった施設なのか
工場というからには何らかの製品を製造していたということになるが、主に炭酸カルシウムに関わる製品を製造していた。
製品のもととなる石灰石は、この鉱山で採掘されたもので、つまり材料の採掘と製品製造を同時に行える施設だったということだ。
そのため敷地は非常に広く、また採掘のための施設、製造のための施設もあったわけだから、廃虚としての風景も彩りにあふれていたというわけだ。
工場としての歴史は1921年(大正10年)に操業が始まり、炭酸カルシウム関連の生産が始まった。
白石工業はその後、全国各地に工場と販売網を確立し、現在も「炭酸カルシウムのパイオニア」として国内トップレベルの企業へと進化していくことになるのだが、その発信源がこの白石工業桑名工場だったというわけだ。
そんな桑名工場も時代とともに変化するテクノロジーの出現と施設の老朽化、作業の機械化にともない1969年(昭和44年)に操業が停止と相成った。
西日本中心にコスプレイヤーが集まる廃虚へ
操業が停止となった以降、廃墟マニアでない限りは誰も寄り付かないような場所になってしまったが、インターネット黎明期から2010年に至るまで「コスプレして撮影できる廃虚」ということが口コミなどで伝わったため、この廃虚を利用して撮影をする人が増えた。
2000年代と言えば、コスプレ自体に人気が出始めたタイミングであり、サブカルチャーと呼ばれる文化が人レベルで大きく交流した時期でもあるため、このような廃虚に訪れる人が急激に増えたのであろう。
実際、ruins.photoが撮影を行った日も、コスプレイヤーを2組程度見かけるなど、人気が高かったことは間違いない。
白石工業桑名工場の魅力
そんな白石工業桑名工場の魅力だが、先の説明の通り鉱山、工場の2つの要素を持ち合わせていたため、廃虚としての表情が非常に多彩である。
すでに放置され錆びついた工場施設からサイロ、浄水施設といったものが一同に結集している。
しかし何よりも人気が高かったのは通称「白い部屋」と呼ばれる一角の存在だろう。
石灰の粉を保管しておく貯蔵施設で施設内全体が白い粉で覆われているため、白い部屋と呼ばれるようになったと推察できる。
まったく他の廃虚にはない場所だったため、幻想的な空間に憧れひと目見ようと訪れた人は少なくないであろう。
この施設がまだ残っていたとしたら、今でも多くの人が訪れていたのではないだろうか。もしかしたら摩耶観光ホテルのように観光ツアーなども行われていたのかもしれない。
白石工業桑名工場が解体される発端となった事件
そんな人気スポットであった白石工業桑名工場がなぜ解体されるに至ったか。
それは2009年に発生した深夜の不審火による火災であった。この火災で事務所が全焼してしまったが、幸い施設全体が燃えてしまうようなことは避けられた。
この場所は廃墟マニアやコスプレイヤーが多く訪れる場所ではあったが、深夜になると地元の暴走族や不良のたまり場ともなっていた側面があったため、このような事件が発生したと考えられる。
廃墟となったとは言え、元は鉱山、工場であり危険な物質やガス、引火性のあるものがあった可能性は否めず、もし延焼が広がった場合、大きな山火事へと発展する可能性もあったことから、警備が強化され、かなり厳重な体制が取られたようだ。
その中で解体への機運が高まり、2012年の解体へとつながっていくことになった。
所在地
施設はすでに解体され現存していないが、跡地を見に行くのであれば名神高速道路の養老サービスエリアにあるスマートパーキングから国道365号線に入り、30分程度南下すると白石工業桑名工場の廃虚があった跡地に到着する。