「バケモノの子」の聖地、佐世保鎮守府の施設:片島魚雷発射試験場(長崎県川棚町)

大村湾にある有名な廃虚は映画の舞台にもなった

長崎空港がある大村湾の北側に小さなコブのように突き出た半島がある。片島と呼ばれるこの場所に片島魚雷発射試験場がある。
片島の大きさは全く小ぶりな半島のような形状をしているが、施設が現役だった頃は軍用の土地として管理されていたことから、片島一帯が片島魚雷発射試験場だった。

現在では魚雷を運搬するために使っていたと思われる上屋と陸地をつなぐトロッコ跡。
その近くある空気圧縮喞筒所。小さな丘のようになっている山を裏手側から登ると監視望楼跡。
陸続きではないため船がなければ入ることはできないが、南側に探信儀領収試験場が残っている。

試験場塔とトロッコレール跡

試験用の魚雷を運ぶためのトロッコレール跡が残っており、その先をゆくと試験場塔が立っている。

空気圧縮喞筒所

この廃虚でいちばん有名な風景は片空気圧縮喞筒所だろう。

この施設は空気をポンプで圧縮するために作られた施設で、太平洋戦争時に使用された酸素魚雷のために必要な施設であった。
施設の屋根は完全に崩れ落ちてしまっているが、ヨーロッパ建築を思わせる迫力ある姿は健在である。

実はこの建物が映画「バケモノの子」のワンシーンに出てきたという話である。バケモノの子は公開が2015年であるが、この写真を撮影したのは2007年。その頃にはこの場所がアニメの聖地になるなんて思ってもみなかったわけだが。

ちなみに2007年撮影当時は、このように木々が生え自然に還ろうかという感じだったが、現在では片島公園として建物を残す形で整備が行われ、小奇麗な場所になってしまっていることを他の方の記録で確認している。

監視望楼跡

小さな丘のような山を登ると試験の様子を確認していた観測施設がある。
小さな建物ではあるがコンクリート作りでしっかりしているところを見ると、さすが軍用施設、と思ってしまう。

探信儀領収試験場

あの海に浮かぶ建物はなんだと様々なところで言われているらしく、新しい観測所とも言われることがあるそうだが、実際には別の役割を果たす施設である。
現在では桟橋が崩落してしまったため、船でしか近づく方法はないが、かつては歩いて渡ることができた。
この施設はその名の通り水中探信儀、つまりアクティブソナーの試験場となっている。

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片島魚雷発射試験場の発端と顛末

現在では地元の方の憩いの場として、公園的な役割を果たすようになった片島魚雷発射試験場であるが、この場所は旧帝国海軍、佐世保鎮守府が開庁されたことに伴い魚雷実験場として整備されることとなった。

海軍工廠が佐世保湾の北岸に開設されると、そこで作られる魚雷を試験する施設が必要となったため1918年(大正7年)、当時は川棚村だったこの地域に「魚型水雷発射場試験場」が設置されることとなった。このような軍用施設の廃虚を見かけると、つい「第二次世界大戦時に作られた~」と思ってしまいそうになるが、その前からこの施設は存在していたのだ。

なぜ片島に魚雷発射試験場が作られたのか

それではなぜ佐世保湾ではなく片島に作られたのか。
同じ佐世保湾のほうが作った魚雷を輸送する手間も省けるというものかもしれないが、理由は以下の通りである。

  • 大村湾は波が穏やかだったので、魚雷の進行状況を観測しやすい
  • ちょうど小高い丘もあり、観測しやすいポイントだった

片島が現在の形になる

旧海軍がこの土地を軍事用の施設として利用し始めた頃は「片島」の地名の通り、実は独立した小島だった。
ところが太平洋戦争が勃発すると、1942年(昭和17年)に武器類増産のため、川棚に新たな工廠が建てられることになり、その影響で試験場も拡張。この際に埋め立てが行われ、島だった片島と九州本土がつながることとなった。

終戦後、敗戦によって軍部が解体されてしまったため、試験場自体も不必要なものとなってしまった。このことから昭和30年代には、魚雷試験場の大多数の施設が解体された。
その大半の土地は宅地として利用されるようになったものの、現在残っている一部の施設については、その宅地化から外れてしまったことから、今でもその姿を現代に残している。

所在地

長崎空港から向かう場合には、車で長崎自動車に入り、東そのぎインターチェンジで降りたあと、国道205号線を北西方面に走ると良い。

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