絶海の孤島にある国内最果ての廃虚:燐鉱石貯蔵庫跡(沖縄県北大東村)

絶海に浮かぶ小さな島にある超レアな廃墟

超レアな廃墟という見出しで書き出したものの、この場所に行くには非常に手間がかかる。正確には手間というよりも行動力に他ならない。
北大東島は南大東島と並んでいるのだが、非常に小さな島でありそもそも観光資源がないに等しい。
那覇空港から飛行機を乗り継いでこの島に来ることはできるのだが、他に交通機関がないため必ず一泊はしないといけない。
一泊するのはいいが観光地、観光施設らしいものがほぼないため、離島ファンやのんびりしたい人でなければ、苦痛になるかもしれない。
また天候が悪ければ飛行機も船も来なくなってしまう。シーズンを間違えると会社員の人は大変な目に遭うかもしれない。

さて、そんな北大東島であるがわずか11.94km2という面積でサンゴ礁の隆起によって生まれたでは、元々燐鉱石の採掘が盛んであった。
1918年(大正7年)から1944年(昭和19年)の大戦末期頃まで燐鉱石の採掘が行われており、その燐鉱石を貯蔵する施設の跡地というわけだ。西港を見ると燐鉱石を船に積み込むためのウインチが錆びついて残っている他、奥手に見えるレンガの建物は採掘した燐鉱石を乾かすドライヤーのような施設だったそう。
今では風化も進み、崩れている箇所が幾つか見受けられるがさすがにここまで来て落書きをするような輩はいないので、ある意味保存状態は完璧である。巨大な壁は進撃の巨人のなんとかウォールかというほどの迫力があり、見ごたえは抜群だ。
泊まったホテルの人の話ではまれにこの廃墟を見に来る人もいるとのことだった。

北大東島は南大東島と同じで八丈島出身の玉置半右衛門という人が開拓した島だ。玉置商会という法人が島を切り開き、さとうきび畑を始めたところから島の歴史が始まった。
その際、たまたま燐鉱石があることがわかり、鉱石の採掘事業も行っていたが、今では元のさとうきび畑で生計を立てるようになった。
ちなみに余談だが、北大東島、南大東島は先述の通り、八丈島出身者が開拓した島のため、琉球文化はない。申し分程度に(本州人の想像する)沖縄らしさを見られる場所はあるものの、食文化は八丈島そのものだ。
例えば、刺し身を島とうがらしと醤油で食べる文化を垣間見ることができたが、これは八丈島の食文化である。

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所在地

北大東島空港から見て反対側、島の西端に位置する。
北大東島はすり鉢状のような形状をしているため、平坦な島ではない。
島の内側から外側に向けて起伏があるため、島全体の観光のついでにレンタカーで移動したほうが楽だろう。
一応、観光地的な位置づけとして考えられているが、特にフェンスなどで覆われているようなことはなく、他の一般的な廃墟と同様、建物がそのまま放置されてしまっている。

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