軍艦島最大の社宅 ― 65号棟「報国寮」の実像

軍艦島最大の社宅 ― 65号棟「報国寮」の実像

圧倒的スケールを誇った巨大集合住宅

65号棟、通称「報国寮(ほうこくりょう)」は、軍艦島(端島)に存在した最大級の住宅棟である。1955年(昭和30年)に竣工し、地上9階建ての鉄筋コンクリート造。炭鉱マンたちのために建てられた巨大な独身寮として、島内でもひときわ存在感を放っていた。

その長大な外壁と直線的なファサードは、島外からも視認できるほどであり、まるで近未来の要塞のような建築とも形容されることがある。居住性よりも収容力を重視した構造は、当時の労働環境と住宅事情を端的に物語っている。


「報国寮」という名称の由来

「報国寮」という名称は、戦後に多くの施設で見られた愛国的名称の名残であると考えられる。具体的な命名由来には諸説あるが、国に尽くす鉱員たちの宿舎という意味合いが込められていた可能性が高い。

ただし、報国寮という呼称が住民間でどれほど日常的に使われていたかは不明であり、「65号棟」としての通称の方が広く定着していた。


独身男性向け寮としての機能

65号棟は、主に若年の独身鉱員のための寮として使用されていた。各階には多数の狭小住戸が並び、1室に複数人が寝泊まりする相部屋形式も存在していた。1階部分には共用の炊事場、洗面所、浴室が整備されており、生活空間は機能的に分割されていた。

日常生活は質素で、仕事を終えた鉱員たちが65号棟に戻ってくる夕刻の光景は、島のリズムそのものであった。内部には談話室や娯楽室のような空間も一部あったが、居住者の証言によれば「寝るためだけの場所だった」と語られることも多い。


残された廃墟、崩れゆく記憶

1974年の閉山とともに放棄されて以降、65号棟もまた無人のまま放置されている。高層でありながら海風と塩害の影響を直接受ける立地であるため、建物の劣化は激しく、崩壊が進行している

かつては島のシンボル的な存在だったその巨大な外観も、現在では一部が倒壊し、鉄骨や壁面が露出している。見学ルートからは直接近づけないものの、遠方からその姿を確認することは可能である。


おわりに

65号棟「報国寮」は、軍艦島における産業都市住宅の極限的な形態を体現した存在である。その巨大さは、炭鉱という過酷な労働に支えられた都市機能の密集と集中を象徴している。

この建物は、単なる寮ではない。労働と孤独、生活と犠牲が交差した場所であり、軍艦島の歴史を語る上で欠かすことのできない構造体の一つである。

この記事を共有する

この記事を書いた人

ruins.photo
SHARE:
この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします
あなたへのおすすめ