軍艦島の住宅建築を変えた先駆け ― 30号棟の革新とその意義

日本初の鉄筋コンクリート高層集合住宅
30号棟は、軍艦島(端島)に現存する建物の中でも特に重要な存在である。1916年(大正5年)に竣工したこの建物は、日本で初めて建てられた鉄筋コンクリート造の高層集合住宅であり、近代建築史における画期的なマイルストーンとされている。
建物は地上7階建て・地下1階構造で、当時としては異例の規模と構造を備えていた。軍艦島の過酷な自然環境(台風・潮風・地震)に耐え得る住宅を目指した結果、木造や煉瓦造ではなく、鉄筋コンクリートという最先端の技術が選ばれたのである。
大正モダンの生活空間
30号棟は、三菱合資会社が鉱員およびその家族のための社宅として建設した。当時の設計では、各住戸には台所・和室・便所・押し入れが配置され、島の生活インフラの中でも比較的恵まれた住環境を提供していた。
とはいえ、現在の基準から見れば非常に簡素で、風呂はなく、入浴は共同浴場頼りであり、電気や水道も限定的な供給体制であった。また、当初のトイレは汲み取り式であり、戦後に水洗化が進められた。
それでも、コンクリート造という清潔感と安心感を持ったこの棟は、当時の島民にとっては憧れの的だった。
建築技術としての先進性
30号棟は、単なる社宅を超え、鉄筋コンクリート構造の黎明期における重要な実験例でもあった。技術監修には、三菱系の建築技師らが関わり、国内ではまだ珍しかったRC構造(Reinforced Concrete)が本格導入された。
この建物の完成以後、日本各地でコンクリート造の集合住宅建設が本格化するが、その先駆けとして30号棟は歴史的意義が非常に高い。その意味で、軍艦島は単に炭鉱の島ではなく、日本近代建築の実験場でもあったといえる。
現在の保存状態と意義
1974年の閉山後、30号棟も無人となり、現在は外壁が大きく崩壊しつつある。ただし、柱・梁・床などの骨組みは明瞭に残っており、築100年以上を経ても倒壊していない点は、当時の建築技術の高さを物語っている。
この棟は、軍艦島の見学ルートからは比較的近く、最も注目される建築物のひとつとしてガイドの説明にもしばしば登場する。近代産業遺産としての登録・保存活動の中でも、30号棟は特に重要視されている建物である。
おわりに
30号棟は、軍艦島における暮らしの始まりを象徴するとともに、日本の集合住宅史と近代建築史の出発点として、歴史的・文化的な価値が極めて高い建造物である。
荒廃したその姿には、「終わった生活」の痕跡だけではなく、「始まりの建築」としての静かな誇りが刻まれている。