軍艦島の小さな診療所 ― 21号棟に息づいた暮らしと医療

軍艦島の小さな診療所 ― 21号棟に息づいた暮らしと医療

「暮らすこと」と「治すこと」が共存した場所

軍艦島(端島)は、最盛期で5,000人以上の住民が暮らした人工の密集都市である。その中で、住民の健康と日常を支える役割を果たした建物のひとつが21号棟である。

この建物は、社宅と医療機関が共存する複合用途の施設として機能していた。建築年代は昭和30年代とされ、鉄筋コンクリート造の中層建築で、外観は他の社宅棟と似たシンプルな構造を持っていたが、その内部は住まいと医療という二つの顔を持っていた。


島内唯一の医療施設としての機能

21号棟には、島内唯一の診療所・薬局が併設されていた。この診療所は、三菱の企業医が常駐し、主に鉱員やその家族、島民全体の健康管理を担っていた。一般的な内科診療のほか、外傷対応や簡単な処置も可能であり、鉱山労働による怪我や疾病への初期対応の場として重要な役割を果たしていた。

また、ここには調剤薬局も併設されており、処方された薬の受け取りも可能だった。限られた島内で生活が完結するように設計された軍艦島では、このような施設の存在は不可欠であった。


上階は社宅、下階は公共施設という構造

21号棟の上層階には、一般的な鉱員社宅としての住宅部門があり、標準的な2DK程度の住戸が複数入っていたとされる。住民の証言によれば、21号棟に住んでいた家族は、医療施設の真上という安心感を持って生活していたという。

この建物のように、生活機能と公共インフラが同一建物内に配置される設計は、限られた敷地と人口密度の高さという制約の中で考案された合理的な都市構造の一端でもある。


廃墟化した今も、存在感を放つ

1974年の端島炭鉱の閉山後、21号棟も例外なく無人となった。現在は、外壁の一部が崩れ、窓ガラスも失われているものの、かつて「命を支えた建物」としての静かな存在感を保ち続けている。

特に見学ルート近くからはその建物の外観を確認でき、他の社宅群とは異なる低層の構造が医療施設としての役割を今に伝えている。


おわりに

21号棟は、単なる社宅の一棟ではない。そこには、医療と生活が一体化した、過酷な炭鉱の島ならではの暮らしの知恵が凝縮されている。小さな診療所の灯が、かつてこの孤島で生きる人々の希望であったことを忘れてはならない。

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