水没した円形校舎が美しい:美唄市立沼東小学校(北海道美唄市)

北海道廃墟の至高。美唄市にある類まれなる小学校廃墟

廃墟という意味では、群を抜いて規模も数も他県とは段違いの北海道。その中においてひときわ異彩を放っているのが、この沼東小学校だ。
日本三大廃墟というものがもしあるとすれば、この沼東小学校はその中に数えられることはないものの、到達までの難易度と美しさを考えれば、裏日本三大廃墟という言葉を作って、その中に入れてしまいたいくらいにはクオリティーの高い場所である。

東美唄町、三菱美唄記念館を少し東に入ったところにこの小学校はあった。
札幌からそんなに離れてはいないものの、この廃墟へのアクセスの難しさは道なき道を行くところにある。恐らく、以前は小学校への道があったであろう場所は、すべて腰の高さほどの草木で覆われており、簡単に入ることはできない。時期を間違えば、ハチやクマに襲われても不思議ではないので細心の注意を払わなければいけない。また近くを小川が流れているが、昔からそうだったのかとにかく水はけの悪い土地で、地面はぬかるんでいる。まるで沼地、湿地帯の様相だ。

何も障害がなければ5分もかからないような距離を、草木をかき分け歩くこと15分。いよいよ沼東小学校が、森に紛れてその姿をあらわす。何もない森にこの小学校最大の特徴である円形の壁、というのは、非常に驚かされた光景だ。
小学校はまるで沼地にでも建てられたかのように、水面に立っているように見える。1階部分は膝〜腰の高さ程度の水が侵入していて、水没している。もちろん入口部分もすっかり水没しているので、ここから入ることはできない。
しばらく壁伝いにぐるりと歩いていたあと、アタックできそうなところを見つけた。

少し、この小学校の歴史に触れてみよう。
1906年に盤之沢簡易教育所として開校され、1947年に現在の呼称ともなっている沼東小学校に名を変えた。最大で29学級、児童数1570名までなったが、1972年に三菱美唄炭鉱が閉山、1974年に閉校した。正直、1570名も収容できる規模だったかどうかは疑わしいが、それだけ大きな規模の小学校であることは間違いなさそうだ。

小学校の廃墟ゆえ、基本的に目に入るものは崩れた教室だ。しかし、最大の特徴は「我路円形校舎」の名の通り、中にいてもこの建物が円形であることがわかる作りだ。上下階を移動するために使う階段は、螺旋階段状で、建物の中心にあり、その周りを取り囲むように廊下、一番外側の部分を教室が囲んでいる。数は数えていなかったが1フロアにつき、4〜5教室はあったと思う。

教室も窓側が円の縁になっているので、弧を描くような部屋の作りになっている。中はすでに空っぽだったので、机や椅子などはなく、やけに大きな黒板だけが、かつて地域の児童教育を支えていたことを示すものとして遺っていた。

最上階に向かうと、階段の天井部分にあった構造物がとても奇妙でもあり、美しさを感じることができるものだった。
うっそうとした日の差し込まない森のなかにある場所において、天井の穴(当時も採光用として作られていたのだろう)から、光が差し込んでいた。

数ある廃墟の中でも、ここが特別であることを感じさせてくれる風景だった。

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所在地

JR函館本線美唄駅から車で15分ほど。札幌からだと中心地から道央自動車道を経て美唄インターを降り、同様に我路ファミリー公園を目指す。
我路ファミリー公園の近くに美唄市立沼東小学校へ向かうことができる、かつての集落(我路の沢、鴻の台)へ向かう道の跡があるので、そこから沼東小学校を目指すことになる。
小学校はもちろんのこと、かつての集落も無人になって久しいためか、もはや道は存在せず腰の高さほどはあると思われる雑草の中をかき分けて進む。
沢が流れているためこれを伝っていけばいいのだが、非常に水気の多い地形のためかぬかるんでいる箇所や、大きな水たまりになっているようなところもあるので注意して進む必要があるだろう。
また北海道の山の中ということで、クマなど人間にとって危険な動物が出る可能性もある。命の危険があるので、近づかないほうが懸命だろう。

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