国内でもかなり珍しい部類に入るであろう巨大地下金庫の廃墟
長野県、山梨県のあたりの廃墟は様々なものがあれど、土地柄、お金のにおいがする場所が多い。お金のにおいがすると言っても廃墟なのですでに失われた、まさに抜け殻のようなものであることには違いないが。高度成長期からバブル時代に栄華を極めた人々が、このあたりに自分が楽しむための保養所などを作り、バブル崩壊後、すべてを失った資産家たちが遺した成れの果てと言ってもいいだろう。
山中湖の湖畔にある廃墟もそういったものがいくつかあるが、その中でも群を抜いて特徴的なのが、この廃墟。三洋証券の巨大地下金庫である。
1997年に倒産した三洋証券の洗心寮という保養施設兼会議施設(だったと思われる)のそばにあるのが、この巨大地下金庫である。洗心寮は1992年築であるのに対し、同時期に作られたと考えられる地下金庫はその2年前であったかもしれない、という痕跡が残っている。
この地下金庫は「先人の碑 1990年 土屋陽三郎」と書かれた半円ドーム型の石碑(これはこれで珍しいが)の直下が、地下金庫となっているためだ。まさかこの半ドーム状の石碑を作ってから、金庫にした、というのは考えにくい。ともあれ、倒産する5~7年前に作られたのがこの金庫である。
洗心寮はまた別の記事で紹介するとして、地下金庫にスポットを当てていこう。
廃墟の規模で言えば、全体の一部として捉えてもそれなりの大きさのある廃墟で、先述の通り、他では見ることのできない廃墟ということであれば、レア度は最大レベルと考えていいだろう。実際に洗心寮を含め(ここも入っていたかどうかは定かでないが)海外メディアでも紹介されていたこともあるそうだ。
早速、中を見ていくわけだが、湖畔の道路から洗心寮の建物にどうしても目を奪われるので、注意しないと入り口を見落としてしまいそうになる。コンクリートの塀に囲まれた、一見、小さなトンネルのに見えるのが金庫の入り口だ。
訪れたのは7月の暑い時期だったが、中に入ると日が入らないため本当に涼しい。湿度も高い時期だったが、壁が結露していて濡れているのがわかる。
まさに80年代後半のようなコンクリート打ちっぱなしの通路を数メートル歩くと見えてきたのが大きな金庫の扉。倒産時からずっと開けっ放しだったのだろうか。錠の一部は錆びついており、もう二度と閉められることはないだろう。
中に入ると本当に真っ暗で懐中電灯などをつけないとまったく中が見えない。真正面に表れたのは三洋証券のマーク。それ以外は何もない金庫だった。まさに金がなくなるということはこういうことであるかのような、空虚な空間だけがそこにはあった。
所在地
東富士五湖道路の山中湖インターチェンジから車で10分ほど走った場所にある。
山中湖の北側を囲む県道729号線を西進し、湖が奥まったエリアを探索すると見つかるはずだ。
洗心寮の外観は道路側からうっすら見える程度で、確認すること自体はそんなに難しくないが。
しかし地下金庫はさらにその奥にあり、車で行くような道もないため、この場所へ向かうには徒歩以外のアクセスはないと言える。